ambivalence

出会った自分とは異なる価値観を累積していくための自己満足ブログです。

素晴らしいと思う人。




みなさんは、どんな人を素晴らしい人だと思うでしょうか。



私は最近気づいたのですが、よく相手を褒めて幸せにしてあげられる人と、人の目を見てお礼が言える人は素晴らしいと思いました。





私は今のゼミに入ってから、とあることに気づきました。ゼミには、よく人の変化に気づき、コメントし、褒めてあげられる人が何人かいます。そういった方々は、大抵外国の文化に触れる機会が多かった方ばかりです。




「◯◯変えた?似合ってる!すごくいいね!とっても素敵!」





そんなセリフをいとも簡単に口から発し、途端に人を幸せな気持ちにできる、魔法使いみたいな人たちです。



私は言われるとなんだか照れ臭くて、うまく対応できずじまいでした。第一に自分は、人の変化によく気づくものの、恥ずかしくてとてもじゃないけれど口に出して褒めることなど出来ませんでした。




でもそんな風に言われて私はもちろん嬉しかったし、時には、自分の理想通りにいかなかった髪型を褒めてもらえると、心が救われたものです。



私は彼女たち(主に女性に多い)を見習いたい、と心の底から思いました。




そしてある時に、自分の出入りが可能な新聞社のとある記者さんが、「天皇と映画」というテーマで日芸映画学科が映画祭をやる、という記事を書いていたのを見て、皇族の人権について興味を持っていた私は、その映画祭に行きました。(このことは別の記事にしたいと思っています)





その会場にはその記者さんの記事の切り貼りが貼ってあり、大きさも一番大きく、熱意を感じる記事だった記憶があります。




そしてその後、彼女たちの人を褒めるスキルをどうにか習得し実践したかった私は、「あなたの記事のおかげでこの映画祭のことを知り、行きたいと思い、そして行ってよかった」とどうにか記者さんに伝えようと思いました。






けれども恥ずかしくて、悩み続け、人に言っても大丈夫かと問い続け、数時間後、ようやくその記者さんに直接お伝えすることが出来ました。




お伝えするとその記者さんは、少し顔を赤らめ笑いながら、「ああそうなんですか、へえ、記事を見て。何の作品を見られたんですか。」とおっしゃって、私もパンフレットを持ちながら「新しい神様」という映画です、と伝えました。





その後立ち去ったのですが、なんとわざわざ追いかけて来てくださり、名前を聞いてくださったんです。それには私もびっくりしましたし、表面以上に喜んでくださったんだと思いました。




ああ、素直に伝えてよかった、そう思いました。





この出来事で私は、世の中には、いらない羞恥心というものがあり、素晴らしい積極性が存在する、そう気付かされたのです。




恥ずかしがって理由をあーだこーだつけて逃げ続けるよりも、人を幸せにする方向性であれば、まずは口に出してみることが大切なんだと知りました。




それを知った後は、積極的にお年を召された方に席を譲ったり、挨拶したりコミュニケーションを取ったりすることが出来るようになりました。



電車の中で、なんだかおじさまに睨まれてるなぁと思っていたら、「靴紐がほどけてる!踏んづけたら危ないだろう!結びなさい!」と愛のあるお叱りを受けたりもしました。



重たいスーツケースを持ち運んでいたら、おばあさまに、「力持ちね、すごいわ」などと話しかけてもらったり。



世の中ってたくさんの愛に溢れてるし、それを受け入れることさえできれば孤独などないし、やはりスマホばかりに気を取られて視野が狭くなっている時よりも、もっと広く物事を見ている時のほうが幸せだと思いました。




人を責めることよりも許したいし、冷たくあしらうよりも暖かく迎えたいと思います。





あとは人の目を見る、というのも、すごく大切なことだと思っています。




やはりこれも照れなのですが、人の目を見てお礼を言うのは恥ずかしいものです。




自分がコンビニでアルバイトをしていたとき、時おりお客様のありがとうに救われていたので、店員さんにお礼を言うように心がけてはいますが、やはりまだまだ目を見るのは慣れません。やはりとても恥ずかしいのです。





でも目を見てくれる、というのは、「自分だと認識してもらっている行為」であり、実際に自分がされると、相手への信頼に繋がるし、心の距離が縮まる気がします。




これからの20代は、無駄な羞恥心を捨て、人をたくさん褒め、人の目を見てお礼を言える大人になりたいです。