女子大生が南アフリカでTENGAを広める?!?!
こんにちは!お久しぶりです!!!
あやぞです!!!!!in 南アフリカ
もう初日から衝撃が多すぎて混乱しています(笑)
この度私は、8月いっぱい南アフリカにいるにあたって、TENGAさんにご協賛いただくことになりました!
そもそもなんで南アフリカとTENGAが繋がるの?って思われる方も多いと思います。
その共通項は…
エイズ
いわゆる後天性免疫不全症候群のことです。
実はなんと、南アフリカの死因第1位は、エイズ。
国民の7人に1人はエイズと言われています。
私は今回、インターンしに行くにあたって、南アフリカを調べていくうちに、そういった事実を知り、どうにか日本の製品で解決の糸口が見つからないか考えるようになりました。
「南アフリカに行く!」と言った時に、周りは、「治安悪くない?なんで行くの。もっと安全になってから行きなよ。」という反応でしたが、
いやいや、安全になってからいくんじゃなくて、危険を日本の製品で解決できたらバカ熱くない?!?!
ってことで、企業さんに協賛を頼もうという考えに至りました☆
最初はもちろん避妊具の会社さんに協賛いただこうとも考えたのですが、
実はなんと、政府がもうそこは国を挙げて対策していて、国民に対してコンドームを支給しているんです!!!(それだけエイズが国家の課題ってことがわかる)
噂によると年間1人あたり240枚以上とか・・・
むしろこのブログ読んでる人間すら使いきれねーよっていう数。
そこで、何かコンドーム以外で、性犯罪や、リスクの高いSEXを抑えられるような製品がないかな…と考え始め、 ふと、友人との会話を思い出したんですよ。
「いや〜TENGAはマジで国滅ぼせるwだって気持ちよすぎて、TENGAばっかり使って子供作れないもん(*´з`)w」
これは明らかにめちゃくちゃ個人の感想だと思いますが、
確かに、『リスクの高いSEXよりも、TENGAがいい』って思ってもらえれば、何らかの効果はあるのでは?!と。
そこで、TENGAさんを調べたところ、なんとTENGAさん自身もCSR活動の一環として、「RESPECT YOURSELF」という、エイズに対する活動を行われていたり、障害をお持ちの方に対してのTENGAの提案を行っていたりと、とにもかくにも
『健康という性』
に対して真剣に向き合っている、めちゃくちゃかっこいい企業さんだったのです!!
そこで、連絡をさせていただきまして、この度無事、商品をご提供いただけることになりました。
その全貌がこちらです!!!!!!!
(私はこの瞬間、世界一TENGAを持っている女子大生になりました。)
ではいただいた商品をどうするのか・・・
ズバリ、お土産として配ります✌
これは旅好きの友人がコンドームをお土産として交換していたことから思いつきました。
コンドームをお土産として渡すなら、TENGAもお土産として渡すべきなのでは…?と
もちろん、ただ商品を渡すだけでは意図が伝わらないと考えたので、エイズに関する注意喚起のメッセージカードとともに渡します。
まずはTENGAの気持ち良さを知ってもらって、選択肢の1つとしてTENGAを頭の片隅においていただきたいと考えています。
そして今回は値段と、移動に便利ということで、ポケットテンガを配りたいと思います!
なんと破格の198円
ぜひ皆さまもお試しください️ ♡
そしてこれから、ブログで南アフリカでの日常の生活や歴史、そして今回のインターンの計画についてなど、記事を書いて行くつもりですので、これからもぜひチェックよろしくお願いします!!
諦めない大人。
普通じゃないってかっこよくない?
そう考えていた時期が、私にもございました。そうそれはかれこれ7年前、私が厨二病を発症した時の話ーーー。
なぜか中学生の頃にビジュアル系にどハマりし、血よ、黒よ、薔薇よ🌹といった感じで前髪をアシンメトリーにして、自分のことを"俺"といい、いたるところに好きなバンドのグッズを使用していました。最初はアシンメトリーの前髪に、パンク系の服装、目の上を真っ黒にしたメイク。徐々に、ギャルメイクへと変貌しました。
(当時15歳、第二次厨二病時✝️)
黒髪ロングぱっつんリズリサピンクカラコン!って感じで生きてましたね。とにかく派手好き(笑)
まあ、男ウケは最悪でした!!!!!!はい!!!!!思い出しただけで死にてえな!!!
まあなんで今日急にこんな話しようかと思ったかというと、自分で言うのもおこがましいんですけど、よく、見た目と中身のギャップがある!と言われるんですが、それはあえてなんだよーという話をしたいなーと思ったからです。
見た目はわりと派手好きで、化粧も濃かったり、夏にはブリーチして派手な髪色にするということまでしてしまいました。服装もわりと個性的(笑)です。あと夏は露出するのが好きですね、まあたんにそういうスタイルを可愛いと思うだけなんですが。
(女子大生ツールとして話題のsnow使用時、実物と写真の差を倍増させたいわゆる"詐欺アプリ"として男子からの非難が殺到。T◯nderでもなかなかお目にかからなくなった懐かしのアプリ。)
と、まあ見た目はそんな感じなんですけど。これまでのブログ読んでいただいたり、話したことある人はわかると思うんですけど、当の本人本当につまらないクソ真面目人間なんですよね。でもそんなクソ真面目人間だからこそ、こんな見た目を保つ理由があるんです。
それはある時のことでした、私がコンビニでレジで並んでいると、目の前に並んでレジを打ってもらっていたのは、めちゃくちゃ怖いギャルのお姉さん。そんなお姉さんが、レジで会計して去る時に一言こう言ったんです。
「あ、おつり募金しといてください!」
って。私は正直な話、「こんな派手な人が募金なんてするんだ。」って思いました。でもそれと同時に、"見た目の派手な人間は募金みたいな善行はしない"っていう偏見を持って生きてたんだなーって気づきました。そして恥ずかしくなりました。偏見を持っていたことが恥ずかしかった。どんな見た目の人がどんなことしてもいいはずなのに。でも、もしこれが見るからに真面目そうなお姉さんだったら私はそれに注目することが出来たかといえばそうじゃないなって思いました。見るからに真面目な人が真面目なことしたって、意外性がない。
この出来事は、私の偏見を気付かさせてくれました。他にも、いつも笑ってる子が、本当はすごい苦労しているのを普段見せていないだけなんだと知ったとき、小さなことで苦労している気になっている自分が恥ずかしくなったりしました。
だから私も、こんな見た目で真面目に勉強してたら、こんな見た目で募金してたら、みんな、"こんな奴でもやってるんだからやらなくちゃ"、そう思ってくれるかなって思ったんです。
私は他の人の意外性が、たくさん自分を成長させるきっかけになったなーって素直に思います。そのたびに自分が恥ずかしくなって、他の人に寛容になる。もしかしたら、あの人はこういう気持ちで苦しんでいるのかも、悲しんでいるのかも、私が知らないだけで、外に出さないだけで本当は悩みを抱えて生きているんじゃないか。そういった考え方を持てるだけで、世界は全然違って見えるようになりました。
もちろんそれが正解だと押し付けるつもりなんてさらさらないんですけど、ただ、他の人がそういったきっかけになってくれたように、私もまた、そういったきっかけになれたら幸せだなって思うようになりました。
だから今はそれがポリシーになりつつあります。こんな見た目で勉強してる私偉いでしょ!って気持ちもそりゃ最初はゼロじゃなかったけど、今はもうたんに人に意外性を与えられたら幸せだなーって思うようになりました。
これからはさすがに派手でいるの無理かもしれないから、また違う意外性を見つけていけたらいいなって思います。人にとっても、自分にとっても、つねに意外性のある自分でいれるように。精進します。
the gap between the rich and the poor
今回は、最近行ってきた香港での出来事を話したいと思います。
まず最初に香港に行って実感したのは、貧富の格差!香港からほど近くのマカオに行った時もさらに貧富の格差を感じることとなりました。
マカオで世界遺産のイエズス会によって作られた要塞から展望した景色は、まさに『貧富の格差』と名付けるのにふさわしい景色でした。
片方から見えるのは、人が住んでるとは思えないほどのボロボロな建物の集合体。その反対側には、お金の無駄遣いではないかと思うほどの立派すぎるホテルが立ち並んでいました。カジノや立派なホテルを楽しむ富裕層が数多くいる中で、車椅子に乗りながら歌を歌い乞食をする現地の人を幾度となく見かけました。
皆さんもアジアを旅行した人なら、そのような乞食をしている方に出会ったことがあると思います。皆さんは何が正解だと思いますか。皆さんは彼らを見て何を感じますか。批判するつもりはありませんが、多くの人々は、そのような人たちを出来るだけ避けたい、関わりたくない、汚いと思っているであろう態度を取るでしょう。
私がその中でも悲しかったエピソードがいくつかあります。まず、香港の個人経営の少し古い飲食店に入った時のこと、そこにはおそらくそのお店の人の子供であろう小さな女の子と男の子がいました。その子たちはとても微笑みながら私を見てくれたので、私は微笑み返しましたし、もっとお話ししたいな、と思いました。しかしその時、友人は「チップくれって言われるよ」とあしらおうとしたのです。しかし、私はその友人の言葉を気にせず、その子たちと言葉が通じないなりにコミュニケーションを取っているうちに、男の子が、私に、と絵を描いて見せてくれました。結局その子たちは私にチップくれなんて一言も言いませんでした。たんに自分のお店に遊びにきた外国人のお姉さんに興味を持っただけだったんです。考えてみてください、もし自分が子供で、たんに興味があって近づいた外国人に、お金をせびりにきたと思われてあしらわれたときのことを。自分だったらトラウマになるかもしれない。でももちろん本当にチップを求める子もいると思います。だから忠告してくれた友人も正しいと思います。でもたんに悲しかった。
そしてまた違うときには、少し痩せている現地のおじさまに道端で話しかけられたとき、私は駅の場所を聞かれているのかな?と思って答えようとしたら、友人に、「怖い!はやく行こう!」と言われ引っ張られたので、私はとりあえずあっちですよ、と指をさしてその場を離れました。その時そのおじさまは、少し動揺しながら、確かに小さな声で「谢谢」と言いました。 そのおじさまは、本当にただ道を聞きたかっただけだったと思います。もし自分だったら、道を聞いただけで逃げられたらどんなに辛い気持ちになるだろう、と思うと暗い気持ちになりました。もちろん騙そうとしたり、怪しい人もいるだろうから、私に警戒心がなさすぎるとも思います。
マザーテレサの逸話に、こういった話があります。テレサがインドに着いてすぐ、道端に倒れてる病気の男の人と出会いました。その男の人は、見るからに汚れていて、街の人はみなその人を避けているようでした。しかしテレサはどうしたことか、その男の人を優しく抱きしめたのです。そうすると、その男の人は、涙を流してありがとうと言ったそうです。テレサは「お金はあげられないけど、愛ならあげられます。」と言いました。
私はこの話を読んだときに、自分は同じことは出来ない、と思いました。だからこそマザーテレサはすごいのだと思わざるを得ませんでした。でもそれと同時に、こういう人になりたいと、たしかに思いました。そのときに偏見や差別で凝り固まった自分の思考を軽蔑しましたし、時折自分の偏見に気づくたび、嫌な気分になります。
乞食をしなきゃいけないほど追い詰められていて、でも生きるためにこうして羞恥心を捨て、いや捨てざるを得ない状況の中で、自分の出来ることをする、この人たちにここまでさせてるのは何が原因なんだろう、その原因を解決しないとずっとこういった人たちは生まれ続ける。この人たちに、尊厳を持てるような生活をしてほしい。こんなことをしなきゃいけないほど追い詰める世の中を変えなくちゃ、そのために自分の出来ることはなんだろう。
そう、毎回私は思います。
本当に人それぞれだと思います。それはこういったテーマのブログをいくつも読んだことがあるからわかります。正解はないと思います。でも私はこういった出来事について思考を停止することだけはしてほしくないと思います。ないものとして扱うことは、一番解決にならない。だからこそ自分なりのポリシーなり考え方、接し方を持ってほしいと思いました。ただそれが差別や偏見であることは自覚してほしいのです。もし自分だったら、という根本的な考え方に戻って考えてみてほしい。想像するのが難しいほど恵まれた生活をしてきた人々は多いと思います。でもお願いだから考えてほしいんです。自信過剰ではありますが、どうかこのブログがそういったきっかけになりますようにと願って、この記事を終わりたいと思います。
知られるということ。
知られるということは、とにかく怖いことだが、幸せなことだし、チャンスは掴めるかもしれないが、批判を生むこと。
どうも、有名人(笑)のあやぞで〜〜す!!!
思い返せば、中学時代は、男子サッカー部にたった一人の女子として入部し周りの先輩方や先生たちに有名になり、高校時代は、うるさいTwitterと、一個上の先輩と付き合ったことでみんなの知るところとなり、大学時代はネタツイと帽子で有名人(笑)になってしまいました。
中学の時は、本当に男みたいだったんですけど、とにかくサッカーとビジュアル系が好きで、厨二病パラダイス☆(しんどい)みたいな感じで前髪をアシンメトリーにして自分のこと俺って呼んでました。(だから同窓会が死ぬほど怖え、、、)
小学生の時にやっていたサッカーを続けたかったけど、私立に行くお金はない!ってことで公立中のサッカー部に入ったんですけど、なんとそこにはジャニーズ顔負けのイケメンの先輩がいて(いやもうこの時点で少女漫画)、最初は男目当てって女子の先輩方に批判されまくってたらしいんですけど、なんか気づいたら応援されてました。(敵認定されなくなったおかげかな、、、)
でもみんな私に話しかけてくれるし、外周してると応援してくれたりで、可愛い先輩方と仲良くなれて嬉しかったですね。
ちなみに私この時まだ下ネタとか聞くと恥ずかしくて男性も苦手だったんですけど、サッカー部の3年間で磨かれました(?)
で、卒業して高校入ったものの、部活は弁論部ですが幽霊部員に近く、ほぼバイトしてました。ア◯ト引越しセンターとかでめちゃくちゃバイトしてました。まあでもとにかくTwitterうるさかったので、わりと知られてまして、、、
あと一個上の先輩と人生で初めて付き合いまして、そのおかげで一個上の先輩方にもよく知られていて、学祭の時には「あやぞちゃん写真撮ろ〜〜」とか先輩方が来てくれてめちゃくちゃ可愛かったです。うちの高校の人本当にみんな可愛いのでとにかくめちゃくちゃ可愛かったです。
3年間イキリブスやってたんですけど、一個下の子にもわりと知られてたり、未だに代被ってない、または代被ってるけどわからない(申し訳ない…)後輩ちゃんからSNSフォローしてもらったりと、わりと知られてるっぽいです。合格体験記効果かしら。先生ともよく話す方なので、わりと仲良しです。
で、問題の大学。
いや〜〜、東京って怖いところだな!ってことに尽きるんですけど、まず入学してすぐに、法学部に女優帽被っていったのがマジで人生のミスですね。いや、北海道民なんで東京の人みんな被ってると思ってましたマジで。
で、瞬く間に「帽子の子」、「あやぞ」(初対面の人に言うの死ぬほど恥ずかしいゴミあだ名)って広まり、法学部のわりと多くの人がヤベェやつ来た、と知ることに。
いやこれ本当にあった話なんですけど、4月とか、大教室に行くと、「もしかしてあやぞちゃんですか?あの、Twitterフォローしていいですか??」とかわざわざ私の座っているところまで話しかけてくれる人がいたり、そこまでしなくても、「あやぞちゃんと話してみたかったの〜〜」とか「あのあやぞね(笑)」みたいに言われることがあったんですよ。
私は思いましたね。大学デビュー失敗しすぎだろ!って。いやだって短期間で有名になるって端的にやばいってことですからね、悪い意味で。私としてはジワジワじんわりみんなに知ってもらいたかったなぁ…(遠い目)
まあだからこそみんなに見られてる意識でいろいろ自分なりに抑えて生きてました、一年間。まあイキリツイッタラーなところを除いて。
で、なんやかんやで2年生になって、色んな人とさらに知り合いになったところで、ついにキャンパスを歩いてると、「あれあやぞじゃね?!」って叫ぶ男子五人組と遭遇。駅の階段で見知らぬ女の子2人にガン見されてて、「顔にさっきのチョコついてるかな?」って不安に思ってたらすれ違った瞬間、「いまのあやぞちゃんだよね?!」と確認し合う2人の声。
1つ言わせてくれ、めちゃくちゃ怖い。
いやこれTwitterでつぶやくと、私有名人///みたいに捉えられそうで嫌だからあんま言わないけどめちゃくちゃ怖い!!!
あと私のこと一方的に知ってるのにまったく話しかけてこず、裏で何かと私の噂をしている人!怖い!私はSNSで自分からほとんどフォローしないので、大半があっちからの接触なわけで…。純粋にめちゃくちゃ怖いよなぁ。
でもまあこれって本当にSNSが発達しているおかげだよなーって思うし、もちろん色んな人と出会う機会が生まれて楽しいと思うことも多かった。
目立つのは嫌いなんだけど(説得力は皆無)、人から話しかけられたいっていう欲求はたんにめちゃくちゃ強い。
いかんせんとっても人見知りなので(笑)
初対面の人とか何話していいかわからないからすぐギャグマシーン化しますね。一人ショートコントとか始まる、ホント。
で、自分からは話しかけれないから、どうしたらいいかなーって思った時に、「じゃあ人から話しかけられるような人間になればいいんだ!」っていう解決方法に至ったのがこうなったきっかけだと思う。
もちろん根も葉もない噂をたてられたり、イメージで勝手に語られたり、そういうのすごく多かったし、ストレスもすごくあって。時折、目立たないことを羨ましいと思うこともあって。目立たないっていうのは、周りの反応を考えたうえで自制心で目立つことを抑えられる大人さが必要だから、それを本当に身につけたいともがき苦しむことも多かった。
でもいまこうやって多くの人にブログを読んでもらえてるのも、今までの自分があったからで、それを考えたら悪くないなって思えたりします。
この歳になると、言及したい世の中の出来事がたくさん出てくる。それはまた、結果として「目立つこと」になるのかもしれないし、これから社会に出た時には、そういった自由は抑えられるのかもしれない。だからこそいま学生として、何か自分が思った意見を発信する場が欲しいと思った。それが自分にとってのブログだし、それで誰に何を言われようとしょうがないと思う。目立つことを怖がって、したいことをしないのも一つの正解ではあるけれど、たとえ目立つとしても、自分のしたいことを通せるのは若いうちだけだ、と思えばこういう冒険も悪くないと思えますね。
伏線とは回収されるものである。
お久しぶりです。
このたびトビタテ!留学JAPANに合格し、トビタテ8期生になることが出来たことをここにご報告させていただきたいと思います。
同時並行でいろいろ取り組んでいたため、かなり自信はなかったのですが、ゼミのトビタテ生だった先輩にアドバイスを頂いたり、留学センター主催のイベントでたくさんフィードバックをいただいたおかげで、合格出来たのだと思います。
1番思い出深かったのは、個人面接でした。とてつもなく緊張していた私が、腰をかけた瞬間、面接官の方は、「大丈夫?緊張してるん?リラックスしてな!大丈夫やから」と声をかけてくださったんです。
そのおかげで、自己紹介や留学の目的、そして自分の家庭環境、将来のビジョンをハッキリと言葉にすることが出来ました。そこで面接官の方が私のために言ってくださったアドバイスに、私はすごく感動しました。
「君はな、すごいポテンシャルがあんねん。でもな、今はまだまだや。だから、本、風景、そして人をインプットし続けなさい。本はな、情報がたくさんあるから、自分のために読むんや。風景もな、すごく大事。だから君がアフリカに行きたいって言うんやったら、たくさんアフリカの風景見てきてほしい。あとたくさんの人に会いなさい。すごく大事だから。そしたら、君は絶対すごい人になる。そして、面白い人生になる、俺が保証したる。2030年代を担う人間になれると思う。だから金出したるから行ってこいって言いたい、個人的にはな。応援してる、頑張ってや。」
私はこの面接のとき、涙が出そうなのをこらえていました。合格出来るかどうかよりも、この人に出会えたことが財産だと思いました。
そこから、本と風景と人をインプットすることを常に心に刻んで生活しています。
ふとスマホをいじる手を止め、まっすぐと街の風景を見たとき、私は感動しました。街中の風景はこんなにも己を主張していたんだ、と。そこにあるお店や病院や、老人ホーム、そのすべてがその街を構成している。だからこそ顔を上げて街を見るだけで、新たな発見があり、その街をもっと理解できるような気がしてくる。
小さな古い喫茶店、こじんまりとした焼き鳥屋さん、誰も入っていくのを見たことがない古びたケーキ屋さん、個人経営のクリーニング屋さん、小さな八百屋さん、50mおきにある豆腐屋さん、夫婦で経営しているラーメン屋さん、野菜料理専門店、インドカレー屋さん、新疆ウイグル自治区料理屋さん、海南吃飯専門店。
ああ、顔を上げただけで毎日の楽しみが増えた、と思いました。暇になればミーハー心で名の知れたスタバに入り、Wi-Fiとコンセントのあるカフェに居座ることだけを良しとしていた自分の人生の貧しさに気付きました。
人生の豊かさとは、もちろん人それぞれですが、私にとっては、物質的豊かさではないことがわかりました。
もちろん美味しいものを誰かと一緒に食べる幸せは、何にも変えがたいのですが、その美味しいものは、安かろうが、インスタ映えしなかろうが、心底どうでもいいのです。一緒に食べる人間のほうがずっとずっと大切です。
大事な祖母と食べるならおにぎりだって世界一美味しい。でもそのおにぎりを食べる場所は、出来れば桜が綺麗に咲く場所がいいな、と思います。祖母がはやく東京に来れるように、働いて、航空券を買ってあげるのが夢です。
話はずれましたが、つまるところ、大事なのは精神的豊かさだと気づきました。お金では、満足行くほどの精神的豊かさはなかなか得られません。だからたくさんの人と出会って、笑い合いながら、精神的豊かさを感じて生きていきたいのです。
私はこれから南アフリカにインターンしようと考えています。どうして南アフリカなのか。
それは、アパルトヘイト政策により、理不尽に就業の機会や学問の権利をおかされたせいで、治安の悪化や個人消費の停滞が引き起こされ、貧富の格差、国としての発展の壁を生み出されているという現状が、自分が最も解決したいと考えている、「本人の帰責性がないのにもかかわらず、理不尽に機会を奪われている子供たちを救うこと」とリンクすると思ったからです。
つまるところ、私は「努力した人が必ず救われる世界」が理想だと考えていますし、もし私に老後があれば、その時は孤児院か奨学金の財団を作りたいと考えています。未来ある子供たちが家庭環境のせいで勉強が出来ない世の中を出来る限り変えたい。
でもそれは日本だけじゃなくて、全世界の規模でそうなることが理想だから、その夢を少しでも具体的に実現する職につきたい。でもそれにはまだまだ私は未熟です。それに覚悟も足りてない。だからこそ経験しなければ、と思ったのです。
それにサブサハラ地域は2030年代には中国、インドの人口をも超えるとされており、そのゲートウェイになるのがアフリカ最大の経済大国南アフリカなのです。南アフリカを知ることは、これから先の日本の経済産業界にも必ず役立たせることが出来ると信じています。そんな多くの複雑な思いを胸に、今日もまた頑張っていきたい。
でも忙しすぎる、考えることが多過ぎる毎日を過ごしていると、たまには今日みたく、本当に何も考えず過ごす日々があってもいいのかなぁと思ったりもして。
今日も自己満足のブログですが、へえと思っていただければ幸いです。おやすみなさい。
見た目という足枷。
私は美しく生まれることは出来ませんでした。
目は腫れぼったく、他には特筆すべきよいところなどなく、至って平凡に生まれたと自覚しています。
もし自分の見た目のよいところを言えと言われたら、手が綺麗なところ、足が綺麗なところ、胸が大きいところ、などになります。これは比較的賛否両論生まれないのかな、と。
顔に関しては非常に賛否両論が分かれる顔です。決して造形が美しいとは言えないからです。
小学校、中学校と「顔が可愛い子」の扱いは受けてはきませんでした。
高校生になって化粧や髪に気を使うようになってからでしょうか、少しずつ褒められるようになりました。
中学生の時は、あまりのコンプレックスに、毎日自分の嫌なところをノートに書いて、それをどうやったら改善出来るかを思考していました。毎日毎日悩んでいました。傷つけられるような言葉を言われるたびに泣いていました。
なんでこんな自分は醜いんだと吐くほどの思いをしていました。強烈なコンプレックスは私を蝕み、人の言葉に一喜一憂してはストレスを抱えていました。
高校生のときも少し褒められるようになって、男の人が寄ってくるようになってきました。私はその男の人たちの言葉を信じて、自分は可愛くなれたんだと信じて疑わなかったのです。
しかし、そのうち気付いてしまいました。男の人は決して私の見た目を賛美しているのではなく、その下心のために言葉を発していることに。
それと同時に、モテないことに対して保険が欲しいと思うようになりました。こんなTwitterだからモテない、など。その深層心理は、あえて自分から原因を作り出すことで、その原因を取り除けばいつだってモテる、というプライドが築き上げた無意味な壁だったのです。
そのうち、私は自分の醜さを自覚し、ひたすら勉強することにしました。この顔でも、勉強が出来れば生きていけるだろう、そういう思いで勉強していました。
それがうまくことを運び、私は早稲田大学に受かりました。私は見た目のコンプレックスを利用したのです。マイナス面を、プラスに変えたのです。
醜く勉強も出来ず、歳をとった女に価値を見出すことは出来ません。容姿も、年齢も、歳を積み重ねれば資産価値は減ります。
でも勉強はどうでしょうか。積み重ねは専門的知識になり、やがては自分が生きていく糧になりえます。勉強に時間とお金をかけると、人生一生ものになります。
しかしながら私は容姿も妥協したくないと思いました。なぜならば、若いうちしか許されない容姿は存在するからです。
オシャレも、どんな服を着るかも、歳をとれば社会の見えない制限がかかります。ならばいま若いうちに思いっきり楽しみたいと思うことの何がいけないのでしょうか。時間は有限であり、若さも当たり前ですが有限なのです。
あとは、もし自分の気になる人ができた時に、その人が自分の見た目が原因で拒否をされることのないようなレベルまでは持っていきたいと思いました。
あとはある程度の見た目にならないと言葉に説得力が生まれないので、説得力をコントロールするために見た目を磨くことにしました。
私は決して容姿でお金を稼ぐことが出来るほどではありません。(芸能レベルというよりは水商売レベルの話)
それは生まれつきの問題なのです。だから人が批判していいものであるとも思いません。しかし好みがある以上賛美しろというのもおかしい話です。
そもそも顔の好みなどその人の主観の問題が大きいのです。
Aさんは自分を可愛いと言うけれど、Bさんは自分をブスという場合、どっちが正しいのかではなく、そのどちらもが正しいんです。
なぜならば好みの問題だからです。だからその人たちの言葉に一喜一憂する必要はありません。
可愛いと言ってくれる人にはありがとう、可愛くないという人にはそうだよね、ブスという人には精進します、それしかありません。
可愛いと言ってくれる人には感謝をし、それ以外の人には謙虚に生きる。これ以上に妥当な答えはないのでは、と思っています。
これが私の見た目という足枷によって得た一つの哲学です。