ambivalence

出会った自分とは異なる価値観を累積していくための自己満足ブログです。

the gap between the rich and the poor

 

 

今回は、最近行ってきた香港での出来事を話したいと思います。

まず最初に香港に行って実感したのは、貧富の格差!香港からほど近くのマカオに行った時もさらに貧富の格差を感じることとなりました。

 

 

マカオ世界遺産イエズス会によって作られた要塞から展望した景色は、まさに『貧富の格差』と名付けるのにふさわしい景色でした。

 

 

片方から見えるのは、人が住んでるとは思えないほどのボロボロな建物の集合体。その反対側には、お金の無駄遣いではないかと思うほどの立派すぎるホテルが立ち並んでいました。カジノや立派なホテルを楽しむ富裕層が数多くいる中で、車椅子に乗りながら歌を歌い乞食をする現地の人を幾度となく見かけました。

 

 

皆さんもアジアを旅行した人なら、そのような乞食をしている方に出会ったことがあると思います。皆さんは何が正解だと思いますか。皆さんは彼らを見て何を感じますか。批判するつもりはありませんが、多くの人々は、そのような人たちを出来るだけ避けたい、関わりたくない、汚いと思っているであろう態度を取るでしょう。

 

私がその中でも悲しかったエピソードがいくつかあります。まず、香港の個人経営の少し古い飲食店に入った時のこと、そこにはおそらくそのお店の人の子供であろう小さな女の子と男の子がいました。その子たちはとても微笑みながら私を見てくれたので、私は微笑み返しましたし、もっとお話ししたいな、と思いました。しかしその時、友人は「チップくれって言われるよ」とあしらおうとしたのです。しかし、私はその友人の言葉を気にせず、その子たちと言葉が通じないなりにコミュニケーションを取っているうちに、男の子が、私に、と絵を描いて見せてくれました。結局その子たちは私にチップくれなんて一言も言いませんでした。たんに自分のお店に遊びにきた外国人のお姉さんに興味を持っただけだったんです。考えてみてください、もし自分が子供で、たんに興味があって近づいた外国人に、お金をせびりにきたと思われてあしらわれたときのことを。自分だったらトラウマになるかもしれない。でももちろん本当にチップを求める子もいると思います。だから忠告してくれた友人も正しいと思います。でもたんに悲しかった。

 

そしてまた違うときには、少し痩せている現地のおじさまに道端で話しかけられたとき、私は駅の場所を聞かれているのかな?と思って答えようとしたら、友人に、「怖い!はやく行こう!」と言われ引っ張られたので、私はとりあえずあっちですよ、と指をさしてその場を離れました。その時そのおじさまは、少し動揺しながら、確かに小さな声で「谢谢」と言いました。 そのおじさまは、本当にただ道を聞きたかっただけだったと思います。もし自分だったら、道を聞いただけで逃げられたらどんなに辛い気持ちになるだろう、と思うと暗い気持ちになりました。もちろん騙そうとしたり、怪しい人もいるだろうから、私に警戒心がなさすぎるとも思います。

 

 

マザーテレサの逸話に、こういった話があります。テレサがインドに着いてすぐ、道端に倒れてる病気の男の人と出会いました。その男の人は、見るからに汚れていて、街の人はみなその人を避けているようでした。しかしテレサはどうしたことか、その男の人を優しく抱きしめたのです。そうすると、その男の人は、涙を流してありがとうと言ったそうです。テレサは「お金はあげられないけど、愛ならあげられます。」と言いました。

 

 

 

私はこの話を読んだときに、自分は同じことは出来ない、と思いました。だからこそマザーテレサはすごいのだと思わざるを得ませんでした。でもそれと同時に、こういう人になりたいと、たしかに思いました。そのときに偏見や差別で凝り固まった自分の思考を軽蔑しましたし、時折自分の偏見に気づくたび、嫌な気分になります。

 

乞食をしなきゃいけないほど追い詰められていて、でも生きるためにこうして羞恥心を捨て、いや捨てざるを得ない状況の中で、自分の出来ることをする、この人たちにここまでさせてるのは何が原因なんだろう、その原因を解決しないとずっとこういった人たちは生まれ続ける。この人たちに、尊厳を持てるような生活をしてほしい。こんなことをしなきゃいけないほど追い詰める世の中を変えなくちゃ、そのために自分の出来ることはなんだろう。

 

 

 

そう、毎回私は思います。

 

 

本当に人それぞれだと思います。それはこういったテーマのブログをいくつも読んだことがあるからわかります。正解はないと思います。でも私はこういった出来事について思考を停止することだけはしてほしくないと思います。ないものとして扱うことは、一番解決にならない。だからこそ自分なりのポリシーなり考え方、接し方を持ってほしいと思いました。ただそれが差別や偏見であることは自覚してほしいのです。もし自分だったら、という根本的な考え方に戻って考えてみてほしい。想像するのが難しいほど恵まれた生活をしてきた人々は多いと思います。でもお願いだから考えてほしいんです。自信過剰ではありますが、どうかこのブログがそういったきっかけになりますようにと願って、この記事を終わりたいと思います。